リタイアは社会への復讐

2026年8月12日水曜日

日記…みたいなもの

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就職氷河期という理不尽なスタート

 就職氷河期と呼ばれる時代に社会に出た。
当時はとにかく選択肢がなく、生きるために「クソ」と言いたくなるような会社で長いこと働くしかなかった。

転職を試みたこともあったが、待っていたのは圧迫面接の嵐。
「そもそも採用する気がないのでは?」と疑いたくなるような対応ばかりで、後から聞けばほぼコネ採用で決まっていたような会社もあった。

それが、今やどうだ。時代は「売り手市場」だという。

自業自得

これまで4社を渡り歩いてきたが、どこへ行っても40代前後の「中堅層」がすっぽりと抜け落ちている。
職場にいるのはベテランと20代ばかり。
最近では人手不足倒産なんて言葉もよく聞くが、正直「自業自得」としか思えない。
こうなることは当時から分かっていたはずだ。
今さら何を言っているのか。
そんな会社はさっさと潰れてしまえばいいとすら思う。

今更遅い政府の支援

政府も今になって氷河期世代の支援に乗り出しているが、現場をまるで分かっていない。
40歳を超えた「普通の人」を採用したい企業がどこにあるというのか。
自分が採用担当なら、何もできなくても若い新卒を育てる。
中途半端な知識を持った人間など不要なのだ。

即戦力になるような卓越した技術を持つ人なら企業も欲しいだろう。
だが、そんなすごい人は最初から政府の支援などなくても自力でどこへでも行ける。
本当に支援が必要なのは「ごく普通の人」なのだ。
政府がいくらポーズを取ったところで、救われるのは一部の優秀な人だけで、普通の人は結局何も変わらない。
政府が今さら支援を始めたこと自体が、「当時の環境が異常だった」と公式に認めたようなものだ。

時代が違うだけで、ここまで人生に差が出るのか。
今まで真面目にやってきたことは一体何だったのか。
私はもう、10年前にまともに働くことを諦めた。

そして、この理不尽な社会に復讐するために「早期リタイア」を決意した。

自由の対価

社会への復讐といっても、暴れたり攻撃したりするわけではない。
個人が巨大なシステムに正面から立ち向かったところで潰されるだけだ。
労働というシステムから静かに去る(降りる)ことこそが、個人にできる最大の抵抗なのだ。

そもそも、労働とは「時間と精神の搾取」に他ならない。
会社や社会は、給料という最低限の手当と引き換えに、人間の最も貴重な資源である「時間」を買い叩いていく。
だからこそ、私は投資による「配当金」で自分の時間を取り戻す道を選んだ。

労働に依存せず、不労所得を得る仕組みを作ること。それは、社会に奪われ続けてきた自分の時間の主導権を、自分の手に奪い返す作業でもあった。
口座に振り込まれる配当金は、私にとって社会のシステムから奪い返した「自由の対価」なのだ。

社会への復讐

復讐を果たすために、私はあえて職場での仕事は真面目にこなした。
会社で存在感のない「何もしない奴」が辞めたところで、組織には何の影響もない。
ダメージを与えることもできない。
だからこそ、「現場でそこそこ仕事ができて、抜けられると困る人間」になる必要があった。

幸いにも、20代前半から投資を続けていたため、本気でリタイアを目指そうと考えた時にはそれなりの知識と下地があった。
理不尽に耐えながら働き続け、今では今すぐ仕事を辞めてもしばらく困らないだけの資産ができた。

職場は今も深刻な人手不足で、常にギリギリの状態で回っている。
今自分が抜ければ、間違いなく大きなダメージを与えられる。

静かなる退職

準備はすべて整った。あとはタイミングのみ。

現代の言葉で言う「静かなる退職」は、すでに完了している。
私にとってリタイアとは、単に労働から逃げることではない。
この理不尽な時代と社会に対する、最大限の「復讐」なのだ。
もう社会にも、政府にも、会社にも何も期待していない。
過去を悔やんでも時代は戻らないが、自分の手で築き上げた手元の資産だけは、絶対に裏切らない。

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